振り返ればいつもそこには彼女がいた。小さな歩幅でマイペースに後ろをついてくる彼女。そんな彼女のペースに合わせて少しゆっくりめに離れすぎないように歩くのが僕は堪らなく好きだった。少し気を抜くと好奇心旺盛な彼女は、すぐにどこかに行ってしまうから逆に僕が追いかけて探しに行く...何て事も珍しくなかった。その度に彼女の楽しそうな表情が見れたから、悪くはないと思えたんだ。だから、もっと楽しんでもらいたくてわざと寄り道をしたりもした。

とっておきの場所。
賑やかな場所。
秘密の穴場。

色んな場所に行ったね...。僕が好きなこの国を、君にも好きになってほしくて.........。



◆◇◆◇



「時計ウサギの様子はどう?」
「...ご覧の通りです、陛下」

投げかけられた問いに答えるように、男は大きな窓を塞いでいたカーテンを開けた。
厚手のカーテンに遮られた光が薄暗い室内を照らした。

「......つまらないわね」

大きな窓によって縁取られた景色はとても美しいモノだった。しかし、彼女の口からは感嘆ではなく落胆のため息が漏れた。
鮮やかな赤髪を揺らし、ゆっくりとした動きで窓際に歩み寄ってきたので男は少し身を引いた。
窓から注ぐ夕暮れの赤が彼女の髪に透け、より一層その鮮やかさを増すのを見て目を細める。

「...」

嫌という程、見てきた赤。

「もう飽きたのよね」
「、!」
「...どうかしたの?」
「いえ...」

一瞬心の声が漏れたのかと思って焦ったがすぐに冷静を取り戻し、話の流れから空の事を言っているのだと気が付いた。
確かに、こうも変化がないといくら美しい景色でも飽きてしまうのはしかたないと思う。自然と視線を外にむけた。
地平線上で沈みも上りもしない太陽。その光がいつまでも空を赤く染めている。
時間を管理していた白いウサギが、力を失った証。

「何とかならないものかしら、退屈で死にそうだわ」
「...チェシャ猫が何やらやっているようですが、外からアリスを連れてくるだけで現状に変化は見られませんね」
「あの猫、一体何をしたいのかしらね?」

次々とアリスを連れてきては、殺してしまう。いや、チェシャ猫が手を出さずとも誰かの戯れによって必ず壊れてしまう。
なんせ、偽物を本物と認めることなんて到底出来ない。そう作られているのだ。
だから、物語の中に新しいアリスを連れてくることは無意味なのだ。ただ素直に殺される為だけに連れてこられたとしか言いようがない。

...それとも、ほかに目的があるのか?

「少し調べてみますか?」
「まかせるわ」

そういうと再び椅子に座り深く息を吐いた。
出て行けという合図だ。
男は軽く頭を下げ、部屋を出ようと廊下へと繋がるドアに手をかけた時。

「あ、最近公爵夫人に会いに行ってないわね」

公爵夫人。
陛下の唯一の友と呼べる存在。
訳あって彼女は自らの屋敷の外に出ることを禁止されており、会う場合は陛下ですらこちらから出向かなければいけないのである。

「かしこまりました。予定を調整しておきます」

そう短く伝えて、部屋をあとにする。
ドアを一枚隔てた先、長々と続く廊下に出た。

暗い廊下。
先程までいた部屋よりさらに暗い。僅かな光しか届かない。かつての豪華絢爛を誇る王宮は、いかなる時も眩く輝いていたはずなのに...。
これも全て空の所為...とは、言い切れない。
ここが変わってしまったのは、アリスが来る前。この国の新しい『統治者』が決まった時に、......全てを奪われた。
明るくなどいられるはずがない。ここにいるものは女王に縛られているのだから。大切なモノを奪われ、従う以外の道を奪われた者たち。

──偽りの兵隊...。



◆◇◆◇



窓も何もない部屋で、白ウサギは椅子に座っていた。明かりは部屋の隅にある小さな机の上に置いた蝋燭の灯りのみ。不規則に光る弱々しい光では、部屋全体を照らすことは出来ないらしい。白ウサギの向かいに座る者の姿をはっきりと捉えることはできなかった。
それでも構わず、白ウサギは楽しげに話し始めた。

「...アリス覚えている?二人で行ったあの場所。そう、この森から国を見下ろせる場所だよ」

アリス。
白ウサギがそう呼ぶ彼女は何も言わず、じっと前だけを見ている。

「綺麗だったね。キミが目を輝かせて見惚れていたのを覚えているよ」

白ウサギが笑う。
楽しそうに。
愉しそうに微笑う。

...昔の様に。

そんな様子を、細く開けたドアの隙間から覗いているチェシャ猫の表情は対照的に決して明るいものではなかった。

「そうだ、今度はあそこに行こう!まだ、連れて行ったことなかったよね。あそこは僕らしか知らない秘密の場所なんだ。きっとキミも──」
「白ウサギ」

話を遮り声をかけた。

「チェシャ猫...?」

振り返ってはくれない。知っているさ、白ウサギはそういう風に作られている。

「お茶ニシナい?帽子屋かラ良い紅茶貰ったんダ」
「そうだな、話し続けたから喉が渇いてきたし。アリスも飲むかい?」

チェシャ猫がドアを大きく開けたことで、隣の部屋の灯が差し込み部屋全体を薄ぼんやりと照らし出した。
白ウサギの視線の先。
先程まで暗闇に覆われていた部屋の奥まで。

白ウサギと向かい合って座るアリス。彼女のことをチェシャ猫は知っていた。今回新しく連れて来た偽物だ。とても活発な少女だった...なのに今はまるで人形の様に大人しく、虚ろな瞳でただ前だけを眺めていた。
白と青のエプロンドレスには所々泥がつき、身体に外傷が無いのにまるで死人様にピクリともしない。
こういうやり方をするのは三月ウサギだ。中身だけを殺す、毎度手の込んだことをする。

(...今回は早かったなぁ。)

「チェシャ猫、どうかしたのか?」
「んー、ナンでもぉなーい。紅茶さぁ白ウサギが入レテー、俺下手だかラ」
「当たり前だ...アリスに不味いモノを飲ませるわけないだろ」
「にゃははー」

白ウサギはチェシャ猫の横をすり抜けて部屋を出て行った。

「.........」

残されたチェシャ猫は、誰もいなくなった部屋を静かに見つめる。死んだ様に座るアリスの後ろ、この部屋の最奥。カーテンによって仕切られた部屋の一角に夥しい量の死体が見えた。

全てチェシャ猫が連れて来た偽物で。
アリスの出来損ないたち。

「あーァ、また連レテ来なキゃ」

これが、キミが選んだ結末だよ。



『アリス』









──...ッ、パタン。