城下町のメインストリート。人気の高い店が軒を連ねる中、一際賑やかな店がある。イカレ帽子屋が営む店だ。店内には綺麗に商品がレイアウトされているのだが、こんなに人がいてはまるで意味がない。……まぁ、あそこにいる殆どの人間の目的は帽子などではないのだろうからどーでもいいのか。
チェシャ猫は店の向かいの建物の上に座り込んでそんな事を考えながら、ボンヤリと店内を覗いていた。

しばらくすると、賑やかな声が鮮明に聞こえるようになった。どうやら、店のドアが開いたらしい。中から沢山の女に囲まれてイカレ帽子屋が出て来た。一人づつ幾らかの言葉を交わして丁寧に見送っていく。女たちの浮かれはしゃぐ声ならともかく、帽子屋の落ち着き払った声は俺のとこまでは聞こえてこない。……聞こえなくとも、女たちの表情を見れば大方想像出来るが……。
どーせ、鳥肌が立つ様なセリフを吐いてんだろ?うぇ。

「チェシャ猫」

呼ばれて見てみると、いつの間にか女たちはいなくなり静まり返ったそこにはイカレ帽子屋だけが立っていた。

「すまない、待たせた」
「何ガー?俺はココで空ヲ見てたダケなんだけどー」
「そんな所にいたら寒いだろ。店はもう閉めたから中に入れ」

こちらの言葉など聞こえないとばかりに話を続け一人、店の中に戻って行ってしまった。その背中を黙って見送ったチェシャ猫の顔は不満で歪む。
他人をからかうのが好きだから、こうもアッサリ流されるのは気にくわない。面白くない。だから、仕方なく帽子屋の誘いに乗る事にした。仕方なくだ。

──カラン、カラン……。

静かな店内にドアベルの音が響く。僅かな尾を引いて反響ソレは、店内の空虚さをよりハッキリと感じさせた。

「そんなに心配だったのか?」

帽子屋がティーポットとカップを持って隣の部屋から出てきた。

「俺がちゃんと『生き返って』いるか」

店内には、採寸したりちょっとした手直しをする為の作業台がある。そこにカップを置いて紅茶を注いでいく。

「心配ナンカするわけナイだろ。物語は終わらなケレバ最初に戻るンダカラ」
「そうだな」

帽子屋は椅子に座り、淹れたての紅茶を飲んだ。俺も向かいに置かれた椅子に座る。が、紅茶は飲まない。猫舌だもん。
その代わり砂糖を4杯入れて、ひたすら混ぜる。

「チェシャ猫」
「……」
「また、頼みたい」

向けられた瞳は真っ直ぐで揺らぐことを知らない。俺はそれを正面から受け止めきれず、顔を顰めそっぽを向く。この後に続く言葉を知っているから。……何度も何度も繰り返してきた。

「俺を殺してくれ」

ほらね?
チラリと帽子屋の方に視線を向ける。先ほどと変わらぬ顔で、こちらの返答を静かに待っていた。

「………」

目を伏せる。
何かを考える為じゃない。ただのフリだ。考えることなどせずとも答えは決まっているのだから。
でも、それを言うのは気が乗らない。たとえもう一方の選択肢を選んだとしても俺は同じ行動をとる。そんな心境は帽子屋にはバレてるだろうな。鈍感なくせに、他人のこういう事には目敏い。
面倒だ。
俺は短く息を吐き、今度こそ正面から向き合った。

「嫌ダネ」

簡潔に、それだけを伝えて立ち上がり、止まることなく店からでた。別にこんな事しなくとも、アイツはしつこくせがむ事はしないが。俺の方が耐えられなかった。

──…………イ。

街の喧騒に紛れる。
フードを被っていれば獣が街中を歩いていても、バレることはない。深く被ったフードの下から、アホみたいに笑う人間を見る。

──コ…シ、イ。

本当にくだらない。
物語に対して関わらないから、コレ等には記憶が与えられていない。正確には記憶はあるがそれは設定の中のモノ。建物や草木のソレと同じ。アリスが死ぬ度にリセットされる、ただのオブジェクトでしかない。

とっくにこの物語は壊れてしまっているのに、そんな事も気付かずに……。馬鹿みたいに笑って…………。

──コ、シタイ。

行き交う人間の中に一人、見覚えのある顔を見つけた。
無意識に目を細め、口角が上がる。

「おネェさあン」

呼びかけた人物は少しの間を置いて、こちらに振り返る。

「…私?」

先程、帽子屋の店で馬鹿騒ぎしていた客の一人だ。

「おネェさんに特別に良イこと教えテあげルヨ」
「?」
「帽子屋さんに気に入られタイんデショ?」

胸が高鳴る。

「帽子屋さんは知りたがっている事があるから、ソレを教えてあげると良いよ」
「ホント!ソレは何?早く教えて!!」
「にゃはは、ソレはネー」

グチャ。

「『死』ダヨォ♪」

チェシャ猫の歪なほど大きな右腕が女の腹を容易く貫いた。

「ソノ感覚、憶えていタラ教えてあげテネ」

貫いた腕を引き抜くと、支えを失った肉は地面へと打ち付けられる。賑やかな街に不釣り合いの音が再び響くと、間髪入れずに悲鳴が聞こえた。

「にゃははは」

一斉に人間が逃げ去って行く。それでも、無作為に目を付けては、殺し続ける。

貫いたり、斬り裂いたり、押し潰したり。

「にゃは、にゃはは……」

──コワシタイ。

「やっぱコウじゃなくっちゃ!」

楽しいな。
我慢するのは凄く苦しいから、もっともっと──…

「殺さナキャ」

あの子は一体どんな顔をするのかな?
早く会いたいよ、アリシア。



◆◇◆◇



静かな店内。
帽子屋はチェシャ猫が逃げるように出て行ったドアを眺めていた。
営業中はあんなにも賑やかだと、この静けさが物寂しく感じてしまう。実家で暮らしていた頃は、この位当たり前だったのに随分と変わってしまったんだな。
視線を落とすと、カップが二つ視界に入る。一つは、カラ。
もう一つは、たっぷりと入ったままだ。

「飲まなかったのか」

カップを手に取る。完全に冷め切ってしまった紅茶を一口飲んでみた。

「…甘い」

砂糖が溶け切っておらず、口の中がザリザリする。相変わらずの味覚だな。

「紅茶くらい飲んでいけば良かったのに。あんなにあからさまに逃げなくても……ん?」

いつも赤く染まっていた空が、薄暗く黒く澱んでいた。空から落ちる水滴が風に煽られ窓に打ち付ける。

「雨が降っているのか。珍しいな」

と言っても、最近は度々降るようになったが。まるで無理やり変えられてしまった物語を嘆くように……。

「悲しいのなら、終わらせてしまえば良いのに、…優しい人だ」

でも、その優しさはとても残酷だ。

「どちらに転んでも、俺たちが失うモノは余りにも大き過ぎる……」



◆◇◆◇



城下町のメインストリート。人気の高い店が軒を連ねる。活気にあふれていたはずのそこには、今は誰一人としていなかった。たった、一匹を除いて。こんな状況は滅多にない。珍しく降った雨の所為、というわけではなく──。

「〜♪」

空を仰ぎ、上機嫌に歌うチェシャ猫。その周りは赤く鮮やかに彩られ、雨に溶けて滲みその幅を広げていた。

「早くおいデ、俺はココダヨ」

誰にとでもなく呟いてみる。届くはずがないと分かっていても、言わずにはいられなかったのだ。それだけ、チェシャ猫の心は弾んでいた。

──ぱしゃん。

足音。
水を弾く音。

まさかあの子が来たのかと驚き、歓び口角を釣り上げる。音がした方向を向くと、その光景に目を見開いた。

──バシャン!